原の草花は人の身の丈ほどに伸び、今は秋桜が咲いている。青や赤、朱色や黄色に囲まれ
て拓けたこの場所には昔、大きな墓が在った。自分も入るはずだったそれはとうに撤去され、
今ここにあるのは小さな一輪華だけ。
 それは、ここに眠る少女の髪と同じ色をした一輪華。名前は彼岸花と言う。奇しくも向こ
う岸という名前をつけられた赤い赤い花はまるで、死んだ少女の冥福を祈るかのように遠々
と咲き誇っていた。
 此岸と彼岸、それを隔てる三途の川は何処にあるのだろうか。それさえわかれば自分も向
こう側に行けるというのに。探せるところは全て探した。地球上は勿論、宇宙の最果までも。
だけど何処にもなかった。
 頭上に展がる碧空に飛行機が一機、白線をひいて世界を決別する。
 どうして自分はあちら側に行きたいのだろうか。どうして自分はいけないのだろうか。何
故自分はこんな存在になったのだろうか。
 ……思い出せる。棄てた筈の過去が、結局ラビリンスとなった出来事が、今なら全て思い
出せそうだ。

 あれは雨が続く梅雨の日の事だった。
 施設に入っていた僕に急な通知が入った。それはどうも僕を引き取ると言う人からのもの
で差出人は飛鳥居紅百合。今度の日曜日、ここ施設より最寄りのバス停に迎えを送るから彼
女についてこい、と言うものだった。
 本当に急な通牒だった。だって、それが届いたのが日曜日の早朝。おそらく郵便が遅れた
のだろう、こんな御時世だからだ。
 とりあえず少ない荷物をまとめ、皆に軽く別れを言い、精一杯見送ってくれる人達を背に
してバス停へと向かった。
 バス停までのたんぼ道、しばらく降った雨のせいか道はぬかるんでいて、まるであの日を
再び歩いている様。

 バス停からのたんぼ道、しばらく降った雨のせいか道は抜かるんでいて、まるでこの世界
を好く思わない自分を表している様。
 それでも“今日もやっと帰れる”、と少しはうきうきしてたんだっけ。そんな毎日の繰り
返し、僕はただただ嬉しく過ごしていた。

 やがてバス停に着いた。そこには鮮やかな赤色をした髪の少女がいて、久々に晴れた空を
見上げていた。側に来た僕にも気が付かないのでなんとなく一緒に見上げる。
 果てなき碧は常に頭上何処かに展がっており、またそこに浮かぶ白い雲達はその世界に憧
れた者達の魂なのだろうか。ならばこの意識もいつか其処に逝くだろう、自分も空に惹かれ
ているのだから。
「――――あ」
 突如近くで声がした。丁度真正面、赤い髪の誰かだ。
「えっと、あなたが……陛駈、ソラさん?」
「じゃあ紅百合さんが言ってた迎えと言うのは」
「はい、私です」
 そう言って彼女は立った。風に流れる赤い髪が美を宿し、瞳は心を見抜こうと真摯に僕を
暗に映す。
「私は飛鳥居ササラ。今後よろしくお願いします」
「飛鳥居――――待った、君いくつ?」
「十四ですが」
 待テ。十四って言ったら僕と同じだ。何回も紅百合さんのところへ遊びに行ったことはあ
るが、だけどもこんな子みたことない。
 と言うことは、
「…………私は棄て子ですので」
「や、紅百合さんの隠し子かと思った」
 彼女はハイ? と首を傾げた。にしても安心した。何に、ときかれれば――本人の前で答え
れないけど――紅百合さんとヤるような人が居なかったことに。
「紅百合さんから聞いていると思うけど、僕は陛駈ソラ」
「あの……ヘイクってあの陛駈ですよね」
 やや気むずかしそうな声。こっちも気むずかしくなる質問にやっぱり気むずかしく答える。
「うん、その陛駈だけど。ってかそれ以外にないだろ」
「でもお母さんは違う、と」
 お母さん……紅百合さんのことか? うわ、似合わねえっ!
「違うってどのように違うんだ……まあそこは置いとこ。正直言って、僕はその話嫌いだ」
 彼女はハア、と目をパチクリ。……どんな環境で育ったのだろう、この娘は。
「で、次のバスは何時ごろかな」
「もうすぐだと思います」
 時刻表も見ずに彼女は答える。多分周期から判断しているのだろう。
 ……ん? 周期?
「君、何時から待ってるかな」
「まあ普通は『来たばっかしです』、と答えます」
 てーと、ノーコメントですか。妙な言い回しだなあ。
「あ、ほら。見えましたよ」

 普段登校するときに使うバスに乗り込んで二人、空いていると言うのに何故か並んで座る。
内装に体を預けて流れ消える外に目をやった。ここら辺はたんぼや畑ばっかしで見晴らしが
良い。……流石に地平線がみれないのは諦めている。窓ガラスは微妙に内を映していて、全
てをみているような錯覚を覚えた。
 ……そんなこと有り得ないのに。
 全てをみるなんて人間である限り不可能だ。ヒトは常に前しか見えず、年齢によって見え
る角度が変動し、性格によって受ける印象が違う。
 性格、と言うことでとあることを思い出した。それは本当に途方もないことで、高炉儀佐
壱とかいう昔の有名人が何かで述べた世界の構造だ。
 なんでも世界は二つの空間が重なっているらしい。まずみんなが見て、考え、意識するこ
の世界と、みんなに宿る魂などが構築される世界。特定の構造をした体には特定の魂しか入
れないということも言ってたような――とにかく、何故だかその世界観に一目惚れして以来
覚えていたりする。
 ちら、と微かにササラを盗み見してみる。彼女はペラッと本をめくっていた。題名は……
『空を統べるは彼の幽霊-戎鬥戦争』作者高炉儀佐壱。本当に人気のある人だ、彼は。
「……」
 と、そこで彼女に気付かれた。
「……」
 互いを無視した沈黙が、何時しか気まずいものに変化して二人を包み混む。何やら反応し
ないと、いけないのかコレは。しかしどう反応しろと。
 そんな風に考え始めたその矢先、ササラが口を開いた。
「あ、あの、他にも『二人で孤独』とか『憐れなスパイ』もありますから……読みますか?」
「いや、戎鬥戦争シリーズは読破した」
 けどそれ以前に、なんかキャラ変わってる気が。……趣味がばれたからだろうか。
「ハイッ、私も既に読破。こうして手に取るのは十回目、かな」
 だってほら、何だか笑顔になってるし。
「十回、って多すぎない?」
「けどっ、この『空を統べるは彼の幽霊』……作中では主人公が幽霊扱いされてますが、何
だかタイトルは違うもの示しているように思う、んですけど……」
 そこで何故かもじもじとし始めるササラちゃん。
「何回も読んでるけど判らない、と」
「そ、そうなんです!」
「実は僕も同じように感じてね、考えた結果があるんだけど……良いかな?」
「是非!」
 なるべく窓の外を見てハイテンション気味なササラを見ないようにして、言う。
「幽霊って実体のないものも指すよね。ここでストーリーの主軸を思い出してみよう。傭兵
として売られた主人公は空軍で、撃墜数より驚異的な回避力をもって自軍に貢献。結果とし
て勝った自軍は、勝利を導いたのが傭兵だったと公表するわけにも行かなかったため、主人

 そして後の世代にこの国が勝てたきっかけのようなものが探されるが結局不明、色々な説
が飛び交い始めるというとこでこの物語は終っている。
「えっと……つまり、この幽霊と言うのは国の意思、と言うことでしょうか」
 緑色のたんぼや畑が少なくなってきて、そろそろ家がポツリポツリと増えてきた。紅百合
さんの家はもうすぐか。
「妙な風刺だよね、ホント。国が事実を隠蔽するだなんて当たり前のことなのに」
 だけどそんなことあまり意識しない。しかしそれは彼の作品を読む前の話だ。……こうい
う意味では彼にも敵が多かったに違いない。
 『二人で孤独』では現代の友情について示唆してるし、『憐れなスパイ』では働いても報
われないとかなんとか。
「でも……私はそんな高炉儀さんの作風が好きです」
「じゃあ僕はちょっとずれてるかな。世界観が好きだから」
「ふふ。『事実は一つ、真実は複数』ですね」
「あ、それ僕も結構好きだ」
 そこでふと現在位置を確認して、停車ボタンを押した。