屋上を脱し、最上階を歩き回って時間を潰すことにした。今頃屋上では、大人二人の興奮
がまた勝負事にぶつけられ始めている頃だろう。あんな怪物共の組手の相手なんか御免だ。
 そもそもの問題、戦うためにつくられた兵器が舞芸をするのをみて楽しいのだろうか。も
しかしたら人混みに掃射するかもしれない。いやそんなことはしなくてもそこにつっこんで
他人を巻き込んだ自殺を図るかもしれないし、そんな事故は回避されても轟音のために耳が
おかしくなる人が出るかもしれない。勿論、こんな奇遇があるはずがなく。
 しかし実際にみているとどれもが上下の制約を振りきった車のように青い野原を走り回り、
見る者に自分も乗りたい、飛び回りたいという観念を起こさせるようで、つまりなるほど、
軍隊志願者を増やしたいのか。空軍だけだが。
「…………」
 振り返る。環状らしい廊下には、人影どころかこの建物というものしか存在してなかった。
では何故、自分は振り返ったのだろうかと自己分析をする。結果は、処理前に出た。誰かの
視線を感じたらしい。言うまでも無く誰もいないが。よって、気のせいだろう。
「に、しても……まだ感じる」
 そう呟きながら、歩を開始する。将棋の歩兵の様にゆっくりと、前に向かって歩き続ける。
環状になってるはずの廊下だから勿論直線でなく、矯車や飛車でぶっとばしたら間違いなく
事故るだろう。角もまた然り。遅いというのも、また特権だ。
 にしてもこの最上階、全ての扉にPRIVATEと刻まれている。職員専用の階なのかそれとも
全て制御室やら倉庫だったりなのかは不明だが、紅百合さんの趣味を考えると前者に違いな
い。エレベータの中でもそのような発言があったし。しかし扉は左側だけで――今時計回り
に回っているはずなのだから――右手の円形のスペースはどうなっているのだろうか。確か
エレベーター前には、入り口があった覚えがあるのだが……
 その時、ふと前方に階段がみえた。その前まで行って階段を眺めると、ちゃんと上下に続
いている。しかしよくみると、昇りは踊り場までが十三段。
 …………。
 よし、このホテルの呼称は十三ホテルにしよう。
 そんな十三ホテルの環状廊下に戻ろうと振り返ると、ちょうど、誰か小さな子が真正面の
ドアを開けて入っていくところだった。
 そして何故か、気が付いたら自分もそこへと入っていっていた。
 そこは半円の部屋だった。いつからつけられているのか、照明が寂しく部屋の輪郭だけを
映し出している。そして、あの子は0、いない。――右奥の、あのドアへ行ったのだろうか、
と自分もそこへと向かう。
 ドアを過ぎれば、廊下が左にだけのびていた。短いその向こうには、右手にドアが見える
だけ。こともなく、その部屋を過ぎた。
 そして――――
――――いつのまにか、外に出てしまっていた。
空は快晴で、街並みはいつものように変わらない。だからただ、家へと向かって歩を進める。
疑問など何もない。どうやって外へ出たのかは知らない。ここへと通じたあの部屋は、もう
ここじゃない。
快晴の空には太陽がなく、
夜闇のような明るさがどこまでも続き、
世界を満たすのはサラサラと奏でる空気で、
そう。故に此処は――――
――その家へつく。それはちょっとした武家屋敷みたいで、厳かな雰囲気を漂わせている家
だ。
それを見て僕は、直感を確信に変えた。
夜毎にみる街を歩き続ける夢、此処はそれを再現したものだ、と。
だからこそこの家に入っていく。
いつも夢は、この中にいる誰かとであった瞬間に終ってしまう。
……だが、この世界は彼までも再現できなかったようだ。
家の中には一人、少女がちょこんと座っているだけ。
そして彼女は、僕に気が付き振り返る。
夜空より深い髪を揺らしながら、彼女は嬉しそうを目を閉じて、言った。
「――ようこそ我が空間へ、世界の象徴よ」

「――世界の、象徴……?」
 その意味不明な呼称に、彼女は、あら、と首を傾げた。その見た目にそぐわない動作に視
界を疑ってしまう。
「違いましたか?……それとも、目覚めていないだけですか」
 少女の凛とした声は少しも響くことなく虚空へと吸われる。が、それは全っ然神秘的じゃ
ない。
「いや、まあ……僕はソラ。陛駈ソラだから世界の象徴だなんてものじゃない」
 彼女はハア、と目をパチクリさせる。可愛らしいのか不気味なのかがわからない。
「では……いえ、その話はもうよいとして……」
 何やら額をおさえてぶつぶつと思考し始めやがった、この少女。
「とりあえず自己紹介といきましょう。私はメイ。以後よろしくお願いします、陛駈ソラ」
「え……あ、うん、よろしく、だけど……」
 だけど、何て言うか。やっぱり目をそらしたくなる言動だ、やけに大人びすぎていて。
「……だけど、で、なんですか?」
 次の言葉を待っていたらしい彼女は、待ちきれなくなったらしく訊いてきた。目は興味深
々に輝いて、はいるが……
「……率直に言いますので覚悟してください」
「はい、私に出来るのならば答えましょう」
「あなた見た目はとても幼いようにしか見えませんが」
 質問を棒読みでしてみた。
「ええ、よく言われるんです、似た様なこと」
 彼女は微笑をたたえながら返事をした。
「して、続きは?」
「失礼ながら実年齢は?」
「アラ、女性に年齢をきくなんて……でもいいですよ」
 そういって彼女は立ち上がった。これでも僕は背の低い方なのだが、でも彼女はやっぱり
僕の七割ほどだ。
「見た目の通り、九歳です」
「だったら年にあう言動をしてください。その体躯に合う仕草をしてください」
 数刻間、互いの目をみたまま暫く黙る。そして、先に口を開いたのはメイ――さんなのか
ちゃんなのか不明のため敬称は略――の方だった。
「えー、私九歳だよ? 大人びたい年頃なんだよ? だからそれぐらい見逃してくれてもいい
じゃんかー。ほら、お兄ちゃんって呼んであげるかーらー」
「むしろやめれ。人間辞めれ。ってか無表情でそんな羅列流されると逆に不気味なんじゃあ
ああぁぁあぁぁッ!」
「さらりと酷いこと言わないで下さいよッ!」
 ……ハッ、思わず変な言動をしてしまった。落ち着け落ち着くんだ自分。最悪素数を数え
るんだいいな自分?
「……で、何か用ですか?」
「用って、此処は私の空間なんだよ?」
 ぉ、今のを気にしてくれたのか、彼女の言動は見た目に合うものになったなあ、と思った
途端、「あ、ちなみに今の口調は外行きようで、さっきまでのが地なの」と彼女は言った。
「つまり用があるのはあなたの方だよね?」
「そもそもここどこですか」
「…………」
「…………」
「……えーと、つまり、適当に来たらここについちゃった、と言うわけ?」
 彼女は再び板張りの床に座って口を開いた。姿勢は先ほどまでのように上品な座り方では
なく、無邪気さを感じさせるような足を前に投げ出す姿勢。
「そうです。にしてもあからさまにあの半円の部屋の、片割れにしては広さが……ってビル
よりも広いですよ、ここ」
 僕は自身が入ってきた障子に目をやりながら言った。それに対して少女は、
「うん、だって此処は私の空間だから」
 とあからさまに電波な発言を返した。それに僕は思わずえっ、と視線を戻す。ついでにす
ぐ逃げれるよう体の重心もかえる。
「まず空間についての概念を説明してほしい?」
「いや、いいです。別にしろうとも思いません」
「あ、そう……ところで、この空間、どんな風に見えてるの?」
 そういって彼女は寝転んで見上げる。僕も見上げたが、白い天井と仕切りのように走る木
材が見えるだけだ。
「私は、森に囲まれた草原を感じてる。それとどこまでも続く青い空。そこに雲は流れず、
ただ浮かぶだけ。そんな――和やかな世界。そして、それが私の心」
 そして彼女は上半身を戻して、僕を瞳に返して言う。その手には、みずみずしい、白い花
が摘まれていた。
「教えて、ソラ――あなたの世界は、どこなの?」
 そうやって彼女はその花を僕に差し出す。
「此花に見せて。その、世界の象徴たる心の具象を」